その日ゼンツは思い出した。
銀玉に脳を支配されていた恐怖を…
全然勝てないのに休日のたびにパチ屋に通ってしまう屈辱を…
自分のことを鬼のヒキを有する銀玉の神だと思っていたのだが最近また負け過ぎて、ふと己がただの末期のパチンコ依存症であるということを思い出した。
ブログ頑張ろう!っと年初に思っていたのに半年以上も放置する有様。
しかしその間にパチ屋にはしっかりと通って、しっかりと絞られた。
ある日、人生の師匠のようなお方に言われた。
「仕事しとるのにお金がないのは意味わからんよ!」っと。
確かにそうだ。意味がわからない。なんのために働いているのだろうか。
「打つなら勝つ立ち回りを。それか収入を増やす。」とも。
しかし、「打ちたい台で出したい」という確固たる想いを胸に抱える生粋のギャンブラーである私にはその言葉が心の臓に刺さるようで刺さらない。
刺さるなら保の留に牙狼斬馬剣が刺さって欲しい…などと考えている内はこの末期のパチンコ依存症を克服することはできないだろう。
今日は末期のパチンコ依存症である私の多分千回目くらいの嘆きと克服への決意を記していきたいと思う。
人によっては恐怖を覚えるような内容かもしれない。
しかしパチンコに囚われた人間であれば誰しもが陥る可能性があるのでこうはなるまいと反面教師にして頂きたい。
僕はそのために生まれてきたのだから。
つらい!パチンコ依存症は全てを無駄にしている
パチンコ依存症、とりわけ末期ともなると本当につらい。
負けた帰り道に身を襲う激しい寂寥感と自己嫌悪。
大型トラックがすれ違う時も、勝手に飛び込もうとする体を頭が止めるためか動悸がして少し震える。
振り返ってもあまり記憶にないような時間を延々長々と消費する。
借金を返してはまた借りてを繰り返し、一体全体利息で月にいくら払っているかももはやわからない。
家に帰ってもお金の工面のために新しい借入先を探したり、貸してくれそうな友人をピックアップする。
少しでも体勢を整えようと翌日には忘れているような薄い内容の借金返済計画をたてる。
今後は節約して堅実に生きようと発泡酒を飲んで気合いを入れる。
そして次の日にパチンコ屋に行く。
結局、パチンコ依存症患者にとっては全てが瑣末なこと。
負けたその日だけしおらしく反省の色を見せるも結局は銀玉さえ弾ければそれでいいのだ。
遊戯に費やしたお金や時間はもちろんのこと、家に帰っての悶々とした時間等も含めて全てが無駄なのである。
こんなに負けるんなら発泡酒じゃなくてサッポロ黒ラベルにしておけばよかった!
とかいうセリフを吐き捨てる時間すらも無駄。
そう、とにかくパチンコに注ぐ全てのものが無駄。
それがわかっていながらほぼ毎日パチンコ屋に行ってしまう。
これがパチンコ依存症の本当に恐ろしいところ。
パチンコ依存症の私と友人達との圧倒的な差
学生時代は全く同じような生活をしていた友人達とも30歳を超えるとその差は顕著にあらわれている。
まず、「お金がない」の意味合いが根本的に違う。
私の「お金がない」は文字通り無を意味する。
月末の支払いに向けてお金の工面をしなければならない状態だ。
僕は「お金がない」の用法をこのひとつしか知らなかったが友人達はどうやら違う使い方をしていることに賢い僕は気づいた。
友人達の「お金がない」は「贅沢はできない」ということを意味していたのである。
支払いや貯金などはもちろんのこと、当たり前だが食うに困ることなどは一切ないのである。
それ、お金あるよ?っと心に疑問を抱いたが、矛盾に満ちたこの用法の方が遥かに一般的な使い方であることに気づくのにはさほど時間はかからなかった。
仕事に打ち込み、健全な金銭感覚で過ごしている彼らとの経済的な差は開いていく一方である。
そして友人達は時間を有意義に使っているため経験値が私とは段違いである。
一方私は持てる時間のほとんどをパチンコに費やしている。
パチンコの話題となれば意気揚々と饒舌になるが、その他の話題となれば友人達との会話についていけず、どうやって最近のP機が面白いという話題に持っていくかを考えることくらいしかできなくなる。
ひとりだけ学生時代となんらかわらないスペックのまま、年齢だけは周りと同じだけとっているので辛うじて今でも同級生として接することができている。
しかし肩を並べていると思っていた友人達と私の間で開いた差はまさに月とスッポン、それを縮めるのは相当難しいだろう。
他の友人達を見て教養や社会経験などはやはり大切だと思った。
パチンコしか知らない自分が恥ずかしい。
パチンコに依存してその全てを注ぐことは経済的にはもちろん、人間としての成長も望めなくなる。
周りの友人達を見てそのことに気づいた時にはもう手遅れなのである。
パチンコはやめられないけど行く回数を減らす
今まで何回禁パチ宣言をしたか、もう見当もつかない。
そしてそのどれもが失敗に終わっている。
この上の記事でも紹介しているように我々のような末期のパチンコ依存症患者、通称「パチンカス」はどんだけ負けて猛省しても次の日にはパチンコ屋に向かう狂者なのである。
その禁パチ宣言の決意の薄っぺらさは和紙よりも薄く破れやすい。
日本全国で毎日、何千何万と発出されるこの宣言がちゃんと守られることは残念ながらほぼない。
だから滑稽な宣言などはやめてもう絶対パチンコ行こう。
でもパチンコに行く回数を減らしてまずは被害を抑える方向に動こう。
僕の場合は最近はまっているキャンプに行きたいと思う。
キャンプはすごく面白い。
自然の中に身を置くと心が癒されて浄化されていくのがわかる。
夏は暑過ぎてそれこそ涼しいパチンコ屋に逃げがちだったが、これから涼しくなってキャンプのベストシーズンになる。
予め決まっている連休には友人を誘って先に予定を埋めてしまおう。
ソロキャンプもしてみたいけどどうせ面倒くなってパチ屋に行ってしまうだろうからやっぱり他の人も誘おう。
パチンコ以外にも面白いと思うものをようやく見つけることができたのでパチンコに使っていたお金と時間を少しでもキャンプに割くようにしたい。
パチンコへの依存度を下げるにはやはりパチンコ以外に興味の持てるものが必要になる。
それが何もないという方に僕がおすすめできるものは今の所キャンプです。
テントも3万もあれば結構いいものが買える。
焚き火台やいすなんかもナフコで2,000円台で実用的なものが手に入る
今日負けるその5万があればある程度道具は揃って多少のお釣りまでくる。
パチンコに行くかキャンプに行くか、どちらが有意義であるかは言うまでもないと思う。
間違っても今日10万勝ってそれで買おうとかは思わないよう細心の注意をお願いしたい。
パチンコ以外に熱中できる趣味を見つけてパチンコ占有率を下げていきたいと思います。
何かいいのがあれば教えて頂きたいです。
パチンコ依存症だったことを思い出したのまとめ
ずっと自分のことを銀玉の神だと思っていましたがどうやらそうではなくてただの末期のパチンコ依存症だということを思い出しました。
これからもこんな生活を続けていれば近い将来、誰も相手にしてくれない銀玉の化け物になることは明白です。
少しでも人間らしい生活を取り戻すためにパチンコ依存症を改善することが目下の急務となります。
当たり前のことですが、パチンコをやめるにはパチンコ以外に熱中できるものが必要になります。
今のところ僕の場合だとそれはキャンプみたいです。
今後はもちろんパチンコには行くのでパチンコのことや、それ以外にもキャンプや趣味の記事も増やしていきたいと思います。
頑張ってなんとか少しでも真人間になりましょう。
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