不覚にも最近またパチンコが全く当たらないようになってしまった。
打てど暮らせど当たらない。
なのに隣の台は軽快に連チャンを積み上げていく。
どうやったらそんな簡単に当てて簡単に連チャンさせることができるのだろう。
特にじい様ばあ様方。
パチンコが当たらずに左手がサンドと貸玉ボタンを往復するだけの空虚な時間を過ごしていると様々な疑問が頭をよぎる。
なぜこんな遊びを覚えてしまったのだろう?
なぜこんな釘ガチガチの店に来てしまったのだろう?
なぜ生まれてきてしまったのだろう?
その疑問の答えを教えてくれる人はいない。
しかしパチンコが当たらないあの空虚な時間こそが己を見つめ直す悟りの時間となる。
その愚かで惨めな姿をもしかしたらお釈迦様は優しく見守ってくれているのかもしれない。
パチンコが当たらない時、それは世界を知る時間なのだ
パチンコが当たらない時というのは得手して全然回らない台に座っていることが多い。
ガチガチの鬼釘店に行くと全くヘソに入賞せず長い間液晶が止まってしまう状況に陥る。
この時パチンカスのイライラは最高潮に達してしまうのだが、ふと目をやると図柄が完全に止まっているわけではないことに気づく。
キャラがまばたきしたり、ユラユラ揺れていたりする。
開発者の細部へのこだわりみたいなそんなものを感じることができる。
思えばこんなクソ台でも多くの人が関わって開発されて、物流にのってこのクソホールにやってきて多くのクソパチンカスとの遊戯に興じている。
当たり前のことだが何か感慨深いものがある。
カタカタと音を立てて排出口に流れていく銀玉のひとつひとつも誰かが作り、誰かに触れられ、誰かが磨いてまた明日ホール中を循環する。
貧乏ゆすりが激しいじい様も、台パンかましている兄ちゃんも、そして虚無の悟りを開いた僕もまたトボトボと家に帰り、質素な飯を食らい、そしてまた明日になればホールを闊歩するのだ。
世界は広い。
そして循環している。
たくさんの人が今日を生き、今日を生きたら明日を生きるための準備をする。
今日負けたらお金をおろすか借りるかして明日打つための準備をする。
パチンコが当たらない時にこそ知ることができる世界のありのままの姿がホールにはある。
パチンコが当たらない時、それは己を見つめる時間なのだ
長い間ヘソに入賞しないとプロモーションムービーが流れだす。
図柄を眺めるだけならまだいいが、PVが流れだしたらもう一生ヘソに入らないのではないかという激しい不安が身にまとう。
「おいおい遊戯中だよ」なんて心の中で台に語りかける。
自身の記録では1,500円投資の間ヘソ入賞なしという記録がある。
もうこの際いけるところまで0回転でいこうなんて心持ちになるのがその辺だ。
その日の負けを確信しながらPVを眺めるなんとも空虚な時間だった。
幸いにも2,000円目に1回転をもぎ取ることができた。
もっと0回転記録をのばしたかったという無念の気持ちもあったがそれを上回る達成感を味わうことができたのだ。
さすがに0.5回転/1kはきつすぎるのですぐさま台移動した。
しかし、一生入らないはずだったヘソに玉が入った。
それだけで鬼釘殺人仕様の店から出て2度と来ないという判断をせず台移動という選択肢に手を伸ばすだけの器量を手に入れることができるのだ。
自分の中にこんなに優しい気持ちがあるとは知らなかった。
ボーダー以下しか回らない台は打たないという贅沢な生活をしている者には決して手に入れることはできないこの気持ちは持たざる者のみに与えられた特権なのである。
でも本当は全然持てる者になりたい。
めっちゃ持てたい。
パチンコが当たらない時にこそ出る本当の人となり
大ハマりをくらっている時にこそその人の本性というものが出るのかもしれない。
貧乏ゆすりで床の掘削作業を試みる者、台パンをかます解体屋さん、しきりにうろちょろキョロキョロしているニョロニョロみたいな者。
様々な人が様々な方法でそのイライラを表現している。
かく言う私も大ハマりをくらっている時は結構キョロキョロする。
連チャンしている台を恨めしそうに眺めるし、よくトイレやタバコ休憩も挟む。
完全にニョロニョロ過ぎてきしょきことこの上ないだろう。
普段はそんなにイライラすることも滅多にないのだが、やはりパチンコ遊戯中は熱が入ってしまうのかイライラを体や行動で表現してしまう。
そんな愚かな自分の姿に少し辟易する。
1,500回転とかはまったらさすがの釈迦も舌打ちくらいするだろう。
しかしパチンコの大ハマり中でも他人の連チャンを祝うことができ、イライラを見せない毅然な態度をとれる人こそが本当にいい人なのだと思う。
余談だが、クイーンズブレイド2で1,700回転くらいでようやく当ててSTにも入った時に、隣の人が「長かったね!」と祝福してくれたことがある。
なんだかその優しい言葉と笑顔が嬉しくてとても印象的だった。
結果STはどスルーをかましてとても気まずかったけど本当に嬉しかった。
パチンコが当たらない時間は釈迦の時間。のまとめ
日常では味わうことができないほどの究極イライラタイムであるパチンコが当たらない時間。
そのイライラを乗り越えて冷静さを取り戻した時に見えるものは新たな世界や己を見つけるきっかけとなる。
お釈迦様ですら少しくらいはイライラするであろうこの無抽選タイムをどう過ごすかで得るものが全く異なってくるということがわかったと思う。
多くの人がいて多くの感情が渦巻くパチンコ屋での過ごし方の参考にして欲しい。
そして新たな世界と自分を是非とも発見して欲しい。
そんな貴重な体験ができるパチンコ屋さんはやはりエンターテインメント業界のメッカなのである。
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