2024年3月20日、日米を激震させた衝撃的なニュースが報道された。
あの大スター大谷翔平選手の通訳である水原一平氏の不祥事である。
私は熱心に大谷選手の活躍を追っていたわけではないが、それでもあの大活躍を支える相棒としての水原氏の存在を当然知っていた。
なのでこのニュースを見た時は心底驚いた。
まさかあの水原一平氏でさえもギャンブル依存症で身を滅ぼすことがあるのか、と。
改めてギャンブル依存症の怖さを思い知らされたような気になった。
水原一平氏はなぜギャンブル依存症になったのか?
なぜ無断で大谷選手の口座から不正送金を図ったのか?
今回は水原一平氏の事案からギャンブル依存症について学んでいきたいと思う。
もちろんこの記事は決して水原一平氏を貶めるための記事ではない。
むしろ私は同じギャンブラーとして畏敬の念すら抱いている。
しかし改めてギャンブル依存症の怖さを思い知らされる事案のため、同じくギャンブル依存症の自身への戒めの意味も込めて記事にさせて頂いた。
ちなみに私は学術上、パチンカスに分類されるギャンブラーなのでパチンカス視点での意見が多くなることをあらかじめご了承頂きたい。
水原一平氏はなぜギャンブルにのめりこんだのか?
大谷翔平選手の相棒という唯一無二の地位と7,500万円の年収に美人な奥様。
地を這って生きている私からすればこの世の全てを手に入れたと言っても過言ではない水原一平氏。
しかし今回の一件でその全てを手放すこととなってしまった。
なぜそれほどまでのものを手に入れた水原一平氏がこれほどまでにギャンブルに熱中してしまったのか?
私は心理学を学んだわけではなく、長年パチンコに勤しんだだけというただの有象無象のパチンカスだが私なりに分析してみたいと思う。
ギャンブルとは「狂気の沙汰ほど面白い」という格言があるように賭けるものが大きくなればなるほど興奮するものなのである。
この狂気の沙汰ほど面白いという格言が記されたアカギという参考文献があるのでご存じない方はぜひ一読して頂きたい。
もちろん賭けるものとは大抵の場合がお金であるが、水原一平氏はそれ以外にも賭けたものがある。
それは大谷翔平選手の相棒という唯一無二の地位だ。
調べてみると数百億円勝っただとか負けただとかいう伝説的なギャンブラーは歴史上に存在するようだが、世界一の野球選手の信頼を賭けたギャンブラーというのはいない。
自分だけが身を滅ぼすのであれば自己責任としてまだ理解できるが、今回の場合は大谷選手も道連れで全てを失っていた可能性もある。
その金銭的価値では計り知れないものを賭けることができたのは水原一平氏以外にはいないのだ。
まさに狂気の沙汰でのギャンブルを水原氏は少なくとも負けが確定するまでは最高潮に興奮して楽しんでいたのではないかと私は推測している。
お恥ずかしながら私にも記憶にあるのだが「負けたらやばい」「バレたらやばい」という勝負は最高潮に興奮するものだ。
そのような勝負を一度でも経験してしまうとギャンブル依存症の一途を辿るのみで、なかなか引き返すのは難しいということを私は身をもって知っている。
元々水原氏がギャンブルに興味があって手を出したのか、付き合いか何かで軽い気持ちで手を出したのかはわからないが高年収で地位も名誉も持っていた水原氏がギャンブルに手を出せば狂気的なギャンブルを強いられるのも無理はない。
その狂気の沙汰を味わってしまえば身を滅ぼすほどにギャンブルに熱中してしまうというのは当然のことだったのかもしれない。
ギャンブル依存症は正常な判断ができない
水原氏がこれほどまでにギャンブルにのめり込んだ理由は先にも述べた通り狂気の沙汰に身を投じ得るだけのものを手にしていたからというのもあるが、大谷選手への甘えというのもあったのではないかと思われる。
ギャンブラーとは得てして賭ける時は思い切りよく賭けるものの、実際に負けてしまうと往生際が悪かったり他人の助けを勝手に勘定に入れる性質がある。
つまり正常な判断というものができなくなるのだ。
水原氏の頭の中にはもうどうしようもなくなったら大谷選手に助けてもらおうという魂胆はきっとあったはずだ。
大谷選手の手助けを最終防衛ラインとすることであれほどまでに負債額が膨れ上がるほどギャンブルに打ち込めてしまったのだ。
しかし最終的には大谷選手に直談判して助けを乞うのではなく、無断で大谷選手の口座から送金するという往生際の悪さが露呈している。
仮に直談判していても助けてはくれなかったかもしれないが、解雇以降も大谷選手の活躍を祝福するくらいは許される関係を維持できたかもしれない。
誰がどう考えても水原氏は大谷選手に相談という形で直接助けを乞うべきだったのだ。
だが水原氏はバレずにやり過ごすために無断で大谷選手の口座から送金するという最後の最後まで賭けに出た。
当然ながらいつかは必ずバレる暴挙であるが、重度のギャンブル依存症に陥り、追い込まれた水原氏には正常な判断ができなかったのだ。
己の身に余る負債を残し、周囲の人を裏切り、他人の口座から無断で送金をする。
水原氏の行動は典型的な重度のギャンブル依存症の立ち回りだと言えるだろう。
ギャンブル依存症は誰もが陥る可能性がある
ギャンブル依存症になると正常な判断ができなくなる。
今回の水原氏の事案はまるで雲の上で起こったようなまさにメジャー級な話だが、私のようなミクロ級のギャンブラーにとってももちろん他人事ではない。
金額やスケールが違うだけで大なり小なりギャンブル依存症による異常な性活を送っているのだ。
そしてギャンブル依存症の最大と言っても過言ではない怖さはこの状態に誰もが陥る可能性があるということにある。
私から見れば全てを手に入れたと言っていい水原氏ですらこの状態に陥っていることが何よりの根拠だ。
少し話のスケールを落とすと、私の行きつけのパチンコ屋にいつも駐まっているポルシェとキャデラックがある。
もちろんパチンコ屋のオーナーが駐めてそうな場所ではなく、お客さんが駐めるエリアに毎度駐まっている。
私は車には全く詳しくないので毎回「ひょぇ〜おっきくてかっけ〜」とだけ思っていたが、ふと気づいたことがある。
そういえばあのポルシェとキャデラックは毎回くらいのレベルでよく見かけるな、と。
ポルシェやキャデラックなどという高級外車を乗り回している方であれば、相当な確率でお金持ちと言って良いだろう。
それがいつもパチンコ屋に足を運んでいるのだ。
もしかしたらただの暇つぶしなのかもしれないが、それにしたって来すぎである。
高級外車にお金を回せて、なおかつ好きなだけパチンコを打てるようなお金持ちであればもっと他の有意義なことにお金を使えばいいのにと私は毎回お節介の極みのようなことを思っている。
その方達も私に言わせれば雲の上のような存在なのだが、ギャンブルとはそのような方々でさえ夢中にさせる悪魔の遊戯なのである。
何をどれだけ手に入れようとギャンブル依存症に陥る可能性があるのだ。
今回の水原氏の一件で改めてギャンブル依存症の怖さを思い知らされた。
そして私はもうひとつ気づいたことがある。
そのポルシェやキャデラックを毎回見つけられるということは私自身もそれだけ足繁くパチンコ屋に通う重度のギャンブル依存症なのだと。
ワシのような小市民であればそりゃ簡単にギャンブルに依存するわと。
深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているというが、ポルシェをのぞいてもポルシェはこちらのことなんて全く眼中にないわということに。
ギャンブル依存症の異常性を自覚することが大事
絶対に裏切ってはならない人を裏切り、水原氏は愚かなギャンブル中毒者として日米で悪名を刻み、文字通り全てを失う結果となってしまった。
裏切る行為は最低の行為である。
もちろんこれは大谷選手だから裏切ってはならないということではない。
そこにはメジャー級もミクロ級もなく、等しくただの背信行為なのである。
重度のギャンブル依存症になると正常な判断ができなくなり、他人のことを軽視し、己の保身のために行動してしまう。
私も少なからず周りの人たちに対して同じことをしていると思えば自分が怖くなった。
今回の水原氏の事案はスケールが大きすぎて現実味がわかないが、それでも決して他人事には思えない妙な親近感を抱いた。
それゆえにギャンブル依存症によって自分がどれだけ異常な行動をしていたかということを客観的に把握することができたのだ。
ギャンブル依存症に苦しむ人に、むしろギャンブル依存症に陥ることなんてないように全ての人に一度読み聞かせしたほうがいい絵本のような、教訓のようなそのような事案だったのではないかと私は思っている。
ギャンブル依存症を改善するためにまずは己がギャンブル依存症であること、そしてギャンブル依存症の異常性を自覚することが大切だ。
そのままギャンブルに依存していたら水原氏みたいになるぞ、と言えば水原氏に失礼だが、ギャンブル依存症によって大谷選手や奥様、ドジャースの他関係者など周りの人を裏切り、人生が狂ってしまったのもまた事実。
雲の上で起こったような伝説的な賭博黙示録だが、真っ当な人生を歩むためにもギャンブル依存症に苦しむ人は他人事で済ませずに己を顧みるための教訓として心に留めておく必要があるのかもしれない。
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