こんちは!やまねです!
僕は大学に入学してすぐにパチンコという悪魔の遊戯に魅入られることとなりました。
それは偶然だったのかはたまた天下の賭博人としての宿命だったのか、今となっては知る由もありません。
幸か不幸か、僕の周りにはパチンコに魅入られた愚かな民が多くいました。
2がつく日、5がつく日、7がつく日などそれぞれイベントが開催されるパチンコ店をピックアップして友人と抽選に参加していました。
情報通の友人が仕入れた情報を頼りに県外のパチンコ屋に出向くこともありました。
そう言う時は大抵負けていたので言い出しっぺを鬼のように糾弾し仲間割れを起こすこともしばしばありました。
そんなパチンコに苦しまされること鬼の如しな生活も今思えば楽しい青春のひと時だったと思います。
昨今ではイベントの開催が禁止されて以前のような盛り上がりがなく非常に寂しいです。
パチンコイベントに想いを馳せ、奔走したあの日々。
今日はそんなパチンコのイベントデーの思い出を語っていきたいと思います。
パチンコのイベントに大学時代の青春をかけた
パチンコに魅入られた大学時代。
その大学時代に1番学んだことは「類は友を呼ぶ」という諺の信憑性の高さたるやということです。
むしろそれ以外は何も学んでない。
パチンコに魅入られた愚かな民が僕の周りにはたくさん集まっていました。
もちろんその愚かな民を牽引する1番の愚者はこの僕でした。
当時既に銀玉の妖怪として人間とは一線を画す存在に成り上がっていた僕はそのような類友-るいとも-を引き寄せることができていたのです。
学校の近くにはパチンコ屋がいくつかあり、毎日友人たちと通っていました。
学校では会わないのにパチ屋ではよく会う人もいました。
1限目には間に合ったことがないのにパチ屋のイベント日の抽選にはきっちり30分前に現れる愚かな民衆。
そのこの世で1番楽しみなパチンコのイベントの抽選に遅刻しようものなら他のどんな用事でも起きることはできないでしょう。
僕の中ではそれくらいパチンコを1番に考えた行動指針が出来上がっていました。
特定日、パチンコ番組の公開収録、決算期、周年など様々なイベントが各店から告知されていました。
夜は友人たちと飲みながらどの店に行くのか、どの台を打つのか慎重に吟味を重ね、朝現地集合、抽選結果に一喜一憂し、(そこから退店までの記憶は飛びがち)また夜になれば反省会と決起会を兼ねて酒を飲む。
いびつかもしれないけど確かにそこに青春がありました。
よく破産せずにもったなと感心すると同時に、もうあの頃のようなイベントのワクワクを体験することがないんやなと思えば寂しい限りです。
次は僕が住み着いている福岡の名店の思い出を語っていきたいと思います!
福岡の超有名店!玉屋のドゥ〜の思い出
福岡在中のパチンカスであれば2が付く日に1度は行ったことがあるであろう超有名店。
そう、玉屋本店さん。
僕も大学時代は2の付く日によく行ってました。
当日は仮に平日でも九州中からパチンカスが押し寄せているのではないかとの疑いを拭い去ることができないくらい大勢並んでました。
毎回友人と息巻いて抽選に参加したのですが2桁台が引ければ奇跡で、大体よくても300番台、逆奇跡を起こした時は900番台でケツから2番目の時もありました。
末尾2番台によく設定が入っていましたが座れたのは幾度も挑戦を重ねた内たった1回だけでした。
その運命の日に引いた抽選番号は12番。
2のつく日が熱い店の2がつく日の2のつく抽選番号。
この時点で僕にはこの抽選券が万枚への片道切符に見えていました。
満を辞して座ったのはもう既にバラエティコーナーに1台しか残っていなかった緑ドンVIVA情熱大陸編。
店側がなぜ5号機全盛期を支えたこの名機をわざわざ末尾2番に据えたのか、その意味を僕は知っていました。
鼻息を荒げドヤ顔で座る愚将やまね。
しかしながら打てど暮らせど全然出ない。
高設定の気配は0。
いつも通りのよく知っているドンちゃんでした。
結局イベント日あるあるなのか、自分が座った時だけ全然出ないと言う教科書で見たことのある結果で終わったのです。
虚無感や憤り、激しい脱力感を抱えながら泣く泣く退席した瞬間に忍者が下皿に車のキーを投げ入れて台を確保されたのを覚えています。
立ち上がった瞬間に死角から手が伸びてきたのでとてもびっくりしました。
さすがは忍者です。
そんな忍者すら打ちに来る玉屋本店さん。
僕の思い出の末尾2番台との試合は敗北で終わりましたがやはりイベント日の人の多さ、それに伴う活気と熱気は福岡一だったと言っても過言ではないでしょう。
福岡一のイベント力!ヴィーナスギャラリー清川店の思い出
こちらも福岡の名店、ヴィーナスギャラリー清川店さん。
VGはそのイベント力に定評のあるお店です。
一説によるとゾロ目イベント発祥もこちらのお店なんだとか。
当時はそのゾロ目に加えて毎月25日のチューリップ祭、2月28日の棟上げ祭など魅力的なイベントが目白押しでした。
やはり例に漏れず、イベント日には多数のパチンカスが押し寄せていて熾烈な抽選合戦を繰り広げていました。
秘宝伝や緑ドン、新鬼武者など5号機全盛期には全台の勢いで爆出ししている光景をよく目にしました。
末尾に設定が入るわけではないのでわかりやすい狙い台がなかったのでスロットの知識に乏しい僕はあんまり勝った記憶がないですが、それでもイベントの熱気にはいつも興奮させてもらいました。
パチンコでは曜日ごとに牙狼の日とか慶次の日とかとりあえず毎日何かしら煽られてアワアワして打っていました。
たまにその熱気の波に乗って大勝を収めたこともあるとても思い出深いお店です。
我が永遠のマイホ!プラザ赤坂店の思い出
赤プラことプラザ赤坂店さんも福岡の有名店として多くのパチンカスを魅了してきました。
もちろん僕もその1人で2020年からはマイホとして正式に認可がおりてほぼ毎日打ちに行ってました。
残念ながら6月をもって閉店してしまいましたが赤坂プラザは永遠に僕の心の一等地に存在し続けることでしょう。
そんな赤プラですがやはり7の日の熱さたるやと言ったところでしょうか。
7がつく日には自動的に赤坂の地に向かうようプログラミングされたパチンカスも多かったことでしょう。
当日はやはり例に漏れず満員御礼で末尾7に座ろうものならホール中から熱い視線を浴びせられました。
まぁ、非常に残念ながら僕は座れたことないんですけど。
末尾以外にも5台機種のオールとかもやっていて本当に活気と熱気に溢れていました。
イベントが禁止された後も7の日の名残りがあって抽選に参加する人は多かったですね。
晩年は客付きの悪さと右手に鬼のヒキを宿した僕の実力も相まって閉店という悲しい結果に終わってしまいましたがあの日の興奮を忘れることはないでしょう。
パチンコのイベント日の思い出のまとめ
2011年にイベントの告知が禁止になり、昔のようなパチンカス魂をふつふつとさせるゴリゴリの広告を見かけることも一切無くなりました。
イベントに向けてバイトを頑張ったり、イメージトレーニングをしたりヒキを高める練習をして胸を熱くしていたあの頃が本当に懐かしいです。
パチンコ依存症を減らすという大義名分があるんでしょうけど結局我々パチンカスはイベントなどなくとも何かと理由をつけてその熱い魂がホールに引き寄せられる存在です。
それであればイベントを規制する必要もないのでは?と疑問を抱くこともありますが、世間ではパチンコの存在が忌避されていることも理解できます。
しかしながらパチンコにのみ生を見出すことができる我々パチンカスにはそんなことはお構いなし!
これからも我々がホールを支えていきましょう!
コメント