私はもう随分と長い間パチンコとの死闘を演じてきた。
パチンコの酸いも甘いもしっかりと噛み分けた私だからこそ、パチンコに対して一貫して抱いている考え方がある。
それはパチンコがこの世で最も面白いもののひとつであるということ。
そしてパチンコがこの世で最も必要のないもののひとつであるということだ。
矛盾しているようだが、パチンコに関してはこの真逆の見解が同時に成立するというのが私の持論だ。
今回は当ブログに訪問していただいた全ての方に見ていただきたい私のパチンコに対する考え方を語らせていただきたい。
このダブスタ野郎!と罵りたくなった方もいらっしゃると思うが私はダブルどころで収まる男ではない。
百のスタンダードを持つ男と呼ばれた銀玉の妖怪だ。
朝と夕方ではパチンコに対する考え方が180度変わることなどはよくあるし、夜になるとそっくりそのまま180度変わることもある。
罵りたいならこの百スタ野郎!と罵って欲しい。
パチンコはこの世で最も面白い
さて、さっそく本題に移るが「パチンコはこの世で最も面白い」という意見に真っ向から反論できるパチンカスはいるだろうか?
少なくとも私には全く否定することはできない。
街ですれ違う人に急にこう言われても咄嗟に「正解!」と返す自信がある。
もはやあれほどまでに胸を熱くし、手に汗を握らせ、頭をアヘアヘさせてくれるものはパチンコ以外には無いと断言してもよいだろう。
私はパチンコ屋に行く時は当然ながら店を潰す勢いで勝つつもりで馳せ参じるのだが、なかなかトドメをさせるほどの出玉にありつけることはない。
逆にトドメをささせれることはしょっちゅうなのだが、それでもやっぱりパチンコとは面白いものだ。
なぜこれほどまでにパチンコは面白いか?
私はこの問いの真の答えにとうの昔に辿り着いている。
それは「負けがあるから」に他ならない。
パチンコとはもちろん勝った時にこそ最高潮に頭がアヘアヘするものだ。
しかしその偉大なる勝利を格別なものに感じるのは敗北があるからこそなのである。
勝ちしかないパチンコなど触る気すらも起きないはずだ。
いや、すまない。
そんなものがあれば毎日触ること鬼の如しなのだが、しかしそれはもう仕事に近い感覚になってしまい確実にアヘ度は下がるはずだ。
それを上記の記事にて詳しく解説しているので1度読んでみていただきたい。
そしてもうひとつ、私は長い長いパチンコとの激闘の中で必殺必中のオカルティック分析を磨いてきた。
オカルトとはパチンカスが試合を通して蓄積してきたノウハウであり、パチンコをより楽しむためのスパイスのようなものなのである。
日々の試合を通し、些細な疑問やわずかな違和感すらも見逃さず、研究に研究を重ね、毎日アップデートして磨き上げてきたオカルトだ。
こんなにも探究心をくすぐられるものがパチンコ以外にあるだろうか?
いいや、ない。
私はパチンコに初めて触れた日にパチンコはこの世で1番面白いものだと確信し、今日に至るまでその考えを1度も曲げることはなかった。
声を大にして言おう。
私はパチンコが大好きだ。
パチンコはこの世で最も必要ない
私のパチンコへの愛を語らせていただいた。
全て私の本心である。
だが冒頭で述べた通り、私はパチンコはこの世で最も必要のないものだとも思っている。
残念だがこれも本心だ。
なぜそう思うのかその理由をこれから述べさせていただきたいが、もしこの記事を見ているあなたがまだパチンコに興味を抱いているだけで最初の1歩を踏み出せていないという方ならば下記の記事を読んでみていただきたい。
踏み出すか踏み出さないかはもちろんあなた次第だが、私はできることなら踏み込んでこないことをおすすめする。
なぜならば、繰り返しになるがパチンコとは間違いなくこの世で最も必要のないものだからだ。
なぜそう言い切れるのか、その理由は至ってシンプルだ。
それはパチンコとはお金と時間という命の次に大切だと言ってもよいものをただただいたずらに浪費するだけの遊戯だからである。
パチンコとはなんの生産性すらもなくお金と時間を浪費し、最後に残るものは虚無のみである。
虚無で終わればいいのだが最悪の場合、借金が残ってしまう可能性すらもある。
私は大学時代にパチンコに触れ、大学一のパチンカスになるまでにそう時間はかからなかったのだが、悪い友人に消費者金融の借り方を教えてもらってから借金が常に隣り合わせの生活を送ってきた。
ちなみにその悪い友人とは今でも仲が良いし、私もそいつも何が悪いかと問われればもちろんそれは頭だ。
なぜ借金してしまうか?
それはパチンコが必ず負ける悪魔の遊戯だからである。
上記の記事はそのことについて私が世に発表した論文なので合わせて読んでいただきたい。
パチンコとは客側が必ず負けるような仕組みになっているのでいずれ手元の軍資金は尽きるのだ。
しかし先述した通りパチンコとはこの世で最も面白い遊戯だ。
軍資金が尽きても打ちたい。
尽きたなら借りるしかないのである。
至ってシンプルなロジックであり、借金なんて絶対にしない方が良いというのは誰しもがわかるはずだ。
だが、パチンコの恐ろしいところは借金なんてしない方が良いとわかっていながらも実際に借金して打ちに行ってしまうというところだ。
そこまでくるといわゆるパチンコ依存症という状態だ。
借金はもちろんパチンコの遊戯代として徴収されるのみで手元に残るのは借金のみだ。
そんな遊戯がこの世に必要だろうか?
しかも街中に何店も本当に必要なのだろうか?
答えはわかりきっているはずだ。
大事なことは理解と認識、そして決められた軍資金
私がパチンコがこの世で最も面白く、そして最も必要のないものだと考えている理由はおわかりいただけたはずだ。
それでもなおパチンコを打つということであれば以下の大事なことを肝に銘じておいて欲しい。
①パチンコがなぜ面白いかというと根源的には負けがあるからということを理解する
②必ず負ける仕組みになっていると認識する
③生活が破綻しない、借金をしない程度に遊べる範囲内で軍資金を設定する
ごく当たり前のことなのだが、頭ではわかっていてもその頭が言うことを聞かないという状態によく陥ってしまうのがパチンコだ。
とにかく絶対に負ける遊戯であり、遊戯代の範疇で遊ぶことを意識し、パチンコに行かず他のことをした方が有意義なのでは?という疑問を常に抱いていただきたい。
パチンコが最も面白いということは打てば即座に理解することができるが、最も必要のないものということを真に理解することはなかなか難しいことだ。
理解した気になってもなおパチンコに行ってしまうほどパチンコとは面白いのである。
恐ろしい悪魔の遊戯であるが、理解と認識、そして決められた軍資金の範囲内での遊戯を心がけていただきたい。
長々と私のパチンコに対する考え方を披露させていただいたが、私が言いたいことはひとつだけだ。
私はパチンコが大好きだ。
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