こんちは!
最近の僕は禁パチ生活が板についてきていい感じに人間社会に溶け込むことができています。
休日もパチンコのことを考えることはほぼ無くなりました。
ただし残念ながら「ほぼ」無くなっただけで一切考えなくなったわけではありません。
暇やなと思った時に、人のパチンコ話を聞いた時に、行きしなのパチ屋の新台入れ替えの看板を見かけた時に…
日常生活の中のふとした時にパチンコのことを思い出してしまいます。
それでもパチ屋に駆け込むような真似はしていないので我ながら大したものです。
ではなぜそんな大した漢であるゼンツがパチンコごときに魅せられるのか?
それはパチンコが面白すぎるからということは火を見るより自明の理であることは確定的に明白です。
そんな面白過ぎるパチンコと10年以上も共に歩んできてしまったのだから2、3ヶ月現場から離れたからと言ってすぐにきれいさっぱり忘れることなど到底できません。
ではもう一段深く、根本的な疑問を投じたいと思います。
なぜパチンコはこうも面白いのか?
それは「負け」があるからだと分析力に定評のある僕は結論づけています。
生物には闘争本能というものが備わっています。
パチンコはその胸の奥でくすぶっている本能をたぎらせてくれます。
たぎった本能は生きている実感を我々に与えてくれます。
今回はパチンコ屋に入れば生き返り、パチンコ屋から出ると体中の細胞が活動を停止するような生活を長年送った僕がパチンコがなぜこんなにも面白いのかについて講義をしたいと思います。
この講義を受講すればパチンコがなぜ面白いかということを根源的に理解することができます。
理解すればあとは行動あるのみ。
禁パチを成功させるための足がかりとなるはずなので是非最後までお付き合いください!
パチンコは練習なんてせずともいつでも全力真剣勝負ができる
勝負の世界はいつもシビアです。
スポーツで言えば試合で実力を発揮するために日々練習に励み、本番では積み重ねてきた全てをぶつけます。
全力で挑んだ勝負で勝てれば凄まじい高揚感を得ることができます。
もちろん負ければ歯を食いしばるほどの悔しさが込み上げてきます。
先に述べたように闘争本能は人間に生を実感させ感情を大きく揺さぶります。
それはシビアであればあるほど、本気であればあるほど強くなります。
逆に言えば本気で練習と鍛錬を積み重ね、真剣に勝負に挑んだ者だけがその強烈な生の実感を得る権利を持っています。
しかしパチンコには練習というものが全く必要ありません。
以前パチンコが当たらない時のための練習メニューを提案しましたがこの記事はリハビリ的な意味合いで練習と表現しているだけで、実際にはサンドにお金を入れる練習や玉の打ち出しの練習などは一切必要ありません。
適当にお金を入れて適当に玉を打ち出せばあとは己のヒキのみを武器にして真剣勝負をすることができます。
つまり己を磨く努力を一切せずとも本気の勝負を楽しむことができるということです。
しかもお金がかかっている分、超真剣勝負をすることができるのです。
この気軽に真剣勝負ができるということこそパチンコの最大の特徴です。
これほどまでに強烈な敗北はパチンコ以外には無い
気軽に真剣勝負ができるパチンコですが、その勝敗結果は時に死すら覚悟させるほど強烈なものになります。
月末の支払いどころか今日の晩飯代もない。
激しく後悔してただただ気軽に挑んだ己を呪う他には何もやる気が起きず呆然とすることしかできません。
しかしそんな時でも心の奥の方でリベンジの炎はゆらゆらと燃えています。
以前にも記事にしましたがパチンカスはパチンコの敗北だけは決して認めず、勝つまで挑戦する飽くなき闘争心を持っています。
もちろん僕もパチンコではどんだけ負けてもリベンジをかましていました。
日常生活その他に関してはどれだけ敗北者のレッテルを貼られてもヘラヘラしていたあの僕がです。
しかし僕が日常生活の中で負け続けてもヘラヘラできた1番の理由は努力をしていなかったからと言えます。
特に努力もしていなかったので負けて当然。
そういうマインドセットになっていたので人生の敗北者として堂々と胸を張って生きていたのです。
もはや勝者です。
しかしパチンコとなると何も努力をしていないのは一緒なのについついムキになって負けず嫌いのもう一人の僕が心を支配しました。
その負けず嫌いの僕が日常生活の中でも実力を発揮していたのならおそらく大統領にだってなれていたでしょう。
逆に言うとパチンコほど悔しいと思えるものは日常生活にはありませんでした。
そんな悪魔の遊戯が気軽に手を触れることができる距離にあるというのは冷静になって考えると異常事態です。
パチンカスは負けるためにパチンコ屋にいく
パチンコ屋で味わいたいものは確固たる大勝利の他にないことは全てのパチンカスに共通する認識です。
しかしその勝利が大いなる大勝利であると理解できる者は敗北し苦汁を舐めさせられた者のみです。
パチンカスは本能的にこのことに気づいています。
空腹が料理にとって最高のスパイスであるように敗北が勝利をより美しく彩るスパイスとなってくれます。
つまりパチンカスは最高の勝利を味わうためにパチンコ屋に負けに行っていると言っても過言ではないのです。
負けがあるからパチンコは面白い。
これはパチンコの真理であると僕は考えています。
パチンカスが最も贔屓にしている武将のひとりに前田慶次という傾奇者がおります。
彼の名セリフの中に「負け戦こそおもしろいのよ!!」という一言があります。
これは全てのパチンカスに対して負け続けてもパチンコ屋に通うように促す大戦犯的セリフですが、パチンカスの心理を的確に表現してあると思います。
おそらく花の慶次もパチンカスだったであろうことはおおよその察しがつきますね。
敗北の道を自ら進む必要などない
パチンカスは深層心理では「敗北」を欲していて、なおかつ営利目的のパチンコ屋は根こそぎ我々の軍資金をかっさらおうと画策しているのでパチンコ屋に行けばトータルでは必ず負けるようになっています。
つまりパチンコ屋に通うということは敗北の道しかない過酷な運命を自らたどるということです。
そのような運命など1㎜もたどる必要はありません。
己の人生のためにそのお金と時間と情熱を費やして自ら運命を切り開いていくべきです。
自ら動くことで己の人生に様々なイベントが起こるようになります。
僕はパチンコ以外ではもはや勝負すらもしてこなかったですが、禁パチして人生を取り返すために悪戦苦闘している今では様々な困難や敗北を味わっています。
しかしパチンコによって敗北の味を知っている僕は前向きに充実した毎日を過ごすことができています。
それだけはパチンコに感謝したいです。
パチンコによって悩み苦しんでいる方は今すぐに禁パチをするべきだと思います。
パチンコはなぜ面白いか?のまとめ
パチンコはなぜこうも面白いのか。
もちろんけたたましいほどの音や光に祝福してもらえるからというのもひとつあります。
特に僕のように普段人から祝福されるイベントなど皆無な人間にとっては唯一祝福され誉めてもらえるパチンコ屋は心のホットプレイスです。
しかし根源的な要因としては負けがあるからパチンコは面白いと言えます。
しかもその敗北はお金のかかった超真剣勝負での敗北。
真剣勝負であるからこそ心が熱くなり、負けがあるからこそ闘争本能を掻き立てられ、勝利が格別なものになるということをパチンカスは知っています。
敗北があるからこそ生を実感することができるのです。
つまりパチンカスは真剣勝負で負けたいのです。
だからパチンカスは負け続けてもなおパチンコ屋に通ってしまうのです。
むしろ負け続ける限り通ってしまう宿命にあるのです。
今回の講義ではパチンコの根源的な面白さについて学んで頂きました。
今後も負け続けなければならない運命と共に生きていくのももちろん個人の自由です。
でも負けを認めて一歩外の世界に歩みだすとまた違った世界が見えてくるものです。
というかこの世は敗北まみれです。
パチンコをやめてようやく少し真剣に生き始めた僕はパチンコ以外のことでも少しずつ悔しいと思えるようになってきました。
相変わらず祝福されるようなイベントは一切起きませんが一生懸命に生きていきたいと思います!
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